- 天下十刹とされた古刹、龍澤山禅昌寺。平安時代に恵心僧都源信が萩原町内の桜洞に庵を編み、観音菩薩の像を掘って霊場を開く。
- その後、後円融天皇が皇后の安産のためにこの地に勅使を遣わし、皇子(後小松帝)の降誕をみたと伝えられる。これにより天皇は名を大雄山円通寺と改め、京から名僧を講じて開山させ、勅願所として帰依された。
- しかし、足利氏が衰微、戦火がこの地にもおよび堂宇を焼失。享禄元年(1527)三木大和守直頼がこの由緒を敬慕し再興。妙心寺派の名僧、明叔和尚を講ずる。
- 現在末寺11を数える、臨済宗妙心寺派の別格寺班である。
- 建築物:
- 本堂(文政12年再建)
- 観音堂(文久3年改築)
- 書院(文化7年補修)
- 大庫裡(安永9年再建)
- 勅使門(文化9年再建)
- 山門(寛政7年再建)
- 鐘楼(嘉永3年再建)
- 龍翔庵(文政7年再建)
- 文物:
- 御円融帝御宸筆(色紙)
- 後奈良帝御宸筆(短冊)
- 開山明叔和尚真蹟(二副対)
- 雪舟筆達磨像
- 芦雪筆涅槃像
- 狩野永徳筆菊花屏風
- その他
- 大杉(天然記念物:推定樹齢1200年)
- 金森宗和による茶室と庭園
源信
942-1017(天慶5ー寛仁1)
平安中期の天台宗の僧。通称恵心僧都、横川僧都。985年に「往生要集」を著わす。これは鎌倉時代の浄土教成立の先駆的基礎。
後円融天皇
1358-93(正平13・延文3ー明徳4)北朝の第5代。
後小松天皇
1377-1433(永和3ー永享5)第100代。後円融天皇第1皇子。はじめ北朝の天皇として重祚、1392年に両朝合体成立。1412年院政。1431年出家。