下呂温泉へ行こう!

下呂温泉は泉質最高の天下三名泉。飛騨の豊かな自然も楽しむ。

温泉人気ランキングでは常に上位にランキングされている下呂温泉。とりわけ無色透明なつるつるした泉質が高く評価されています。下呂温泉は天下三名泉として飛騨地方でも有数の観光地となっていますが、時代をさかのぼると簡単にはたどり着けない辺境の温泉地でした。

飛騨国には東に飛騨山脈、西に白山山塊。他国とのつながり は神通川と飛騨川、ほかは飛騨山脈の峻嶺を越えて信濃へ続く糸のような山道が数条あるのみ。木曽路の嶺さえ踏破し数々の作品を残した江戸後期の絵師安藤広重さえも、飛騨へ足を踏みいれることがなかったのです。 禅僧万里集九がこの地を訪れた時も、飛騨の山は厳しい千里の道のりだと記しました。徳川家康に重用された儒学者林羅山は集九に習い、当地を「天下三名泉」と賞しましたが、深山に分け入り湯を楽しむことを夢見ていたのかも しれません。道路も鉄道も整備された今日では想像もつきませんが、大きな自然が人を阻んでいました。

時を経て昭和9年、富山側からと岐阜側からの鉄道が結ばれ アクセスは格段に向上しました。湯量豊富で泉質の高い温泉資源に恵まれ、今日では年間100万人以上が宿泊入湯するまでになりました。下呂温泉には充実した宿泊施設と豊かな自然があります。天下三名泉のひとつ、下呂温泉でゆったりと 温泉リラクゼーションを楽しんでください。

LINK:

道路情報ライブ :積雪,凍結,降雨,気温

岐阜県の道路情報や積雪、凍結、降雨、気温、天気予報などに関するリンクと注意ポイントは以下の通り。

冬場の気温低下に注意しましょう。気温よりも道路の温度が低く凍結している可能性があります。

この時期、スタッドレスタイヤは必須です。いま積雪がなくても、天候が急変し雪が降り始めるかもしれません。道路情報板、道路状況カメラなどの情報に注意しましょう。

積雪がなくてもトンネルの出入口や橋の上が凍結していることがあります。その場合はスタッドレスタイヤでも滑って対向車線にはみ出す可能性があります。冬タイヤを装備しているから大丈夫と慢心せず、十分注意して運転しましょう。

急な坂ではスタッドレスタイヤでも登坂が困難になります。道路状況によってはチェーンが必要なので、出発前に気象情報、天気予報などを確認しましょう。

高速道路などで積雪による渋滞が生じた際、排気口が雪で塞がれて排気が車内に逆流すると危険です。スコップなどを用意し、排気口周りを除雪しましょう。

頻繁に利用する道路なら道路状況を知らせてくれるメールサービスを利用すると便利です。

飛騨地方の道路状況のイメージ
道路状況のイメージ

凍結

異常気象

降雨

道路情報板

気象情報

天気予報

天気図

レーダー

メール通知サービス

道路状況カメラ

降雪量予想

日本三名泉、天下三名泉の由来

下呂温泉は草津、有馬と並んで日本三名泉、天下三名泉の一つといわれていますが、どんな由来があるのでしょうか。少し歴史を見ていきましょう。

下呂温泉が位置している飛騨街道は古来険しい山中にあって、当時の歩荷や牛方などでも通行が容易ではありませんでした。その深山幽谷を『飛騨編年史要』の著者岡村利平は次のように形容しています。

 「東には乗鞍、槍ヶ岳等の峻嶺の聳ゆるあり、 西には白山山脈の連亘するあり、飛騨山塊の名を以って呼ばるる臺地なるを以って、 交通この如く便ならず、されば自然の大風景も近来までは多く知られず、史上の遺物は自然に保護せられたるなり。」 (『飛騨編年史要』序より)

まさに絶遠たる山に囲まれた飛騨だったのです。

下呂温泉の起源については延喜年中(901-923)とも天暦年中(947-957)とも伝えられており、 『飛州志』

「天暦年中、この地の山中に初て温泉湧出せり」

とあります。時は 醍醐天皇 の御代。 延喜元年(901)、 菅原道真 の子兼茂が 飛騨権掾 に任ぜられ、また延長五年(927) 年には、 延喜式により租税として 飛騨の匠 たち百名を送ったと中務省式に記されています。のちに、この山中の温泉は突然止まり 益田川 の河原へ移動して湧出したのでした。

最古の入湯の記録はどうかといえば、延徳三年(1491)、室町時代の五山の詩僧万里集九が最古で、詩文『梅花無尽蔵』に下呂温泉を草津、有馬と並ぶ日本三名泉、天下の三名泉、と讃えています。

万里集九に続く記録は天文十八年(1549)の美濃国遠山庄大圓寺住持の明叔和尚でした。明叔は八月中旬より九月下旬まで下呂に逗留し、禅昌寺 に七、八日泊しました。

続いての記録は元和七年(1621)四月二十五日、林羅山(林道春)です。羅山が三八歳の時、 摂津有馬温泉にて詩を作り、その註としてこう記しました。

「諸州多有温泉、其最著者、摂津之有馬、下野之草津、飛騨之湯島(現在の下呂温泉)是三処也。」

これらの評価が下呂温泉の名泉誉れの源となり、今に至っています。幼少より五山に儒仏を学んだ林羅山ですから万里集九を読んでいた可能性はあります。集九から羅山までの100年経っていますが日本三名泉の評価に変化はなかったようです。

(当時は下呂温泉という呼称はなく、「湯島」と記されています。今では「湯之島」という地名として残っています。 「下呂」という呼び方がどのように起こったかは、こちらを参照。)

2004年1月15日


























下呂という名の由来

下呂という不思議な名前、そして発音はどのようにして成立したのでしょう。下呂という名の由来について見ていきましょう。要約すると、下呂は古くは 下留(しもつとまり、あるいはしもとまり)と呼ばれて いましたが、時を経るに、「げる」からさらに 通称化されて「げろ」と発音されるようになったようです。

奈良時代後期、宝亀7年(776年)に宿駅として下留(しもつとまり)が置かれ歴史に登場します。 室町時代に書かれた万里集九の「梅花無尽蔵」には

「予在飛之温泉。々々所在、曰 益田郡 下櫓郷 。」

と あるので、この頃にはすでに「げろ」という発音であったと考えられます。ここで「しもとまり」という発音と すべて音読みの「げろ」の間にある変化は、飛躍といっても差し支えないでしょう。この飛躍が発生した要因として考えられるのは、飛騨が米の収量が少ないために「下々(げげ)の国」と呼ばれていたことが あげられます。地名に「下々」のイメージが重ねられ、「下(しも)」が「げ」と発音され、 この音読みに引きずられて「留(とまり)」は「る」となり、伝播するにしたがって「ろ」の発音に変化 していったのが下呂という名の由来なのか。あるいは、「下々」のイメージに引きずられるよりも、単に「しもつとまり」の発音が長すぎて言い難く、音読みして簡略化したのが由来なのか。 「呂」 についてはあきらかに「ろ」の発音に風呂の呂を重ねたのが由来ということでいいでしょう。

下呂の北側には 中呂 、 上呂 という地名もあります。しかし中呂も上呂(上留)も温泉 で栄えた呼称ではありませんので、下呂の呂にならって変えてしまったと思われます。

今では奥深い山国が自然という資源、観光資源として評価され、下呂というインパクトのある発音も広告効果の一端を担っています。豊かな自然と良い泉質の温泉、歴史的評価、名前の由来変遷など、下呂温泉の大事な要素ですね。

2004年2月17日








下呂温泉 下呂発温泉博物館

温泉を科学と文化の両面から紹介する全国でもめずらしい温泉専門の博物館。足湯もあります。
住所:下呂市湯之島

営業時間  : 9:00AM-5:00PM
定休日  : 毎週木曜日(祝祭日営業)
入館料  : 大人400円 小人200円 (10名様以上1割引)
電話  : 0576-25-3400
駐車場  : 1H無料以降30分100円(20台)

問合せ先:下呂市観光商工部観光課 0576-24-2222

下呂発温泉博物館オフィシャル